火正神社と、そのお祭りとは?

 ちょっと硬い話になって恐縮ですが、ときの領主「板倉公」を語らずしては話が前に進みませんのでご理解の程を… 
 「板倉家」と東金の関係は、福島藩祖の「板倉重昌公」が慶長19年(1614年)に「徳川家康公」と共に東金に来訪したことに始まります。
 江戸幕府の中枢で活躍されていた「板倉家」が、寛文11年(1671年)幕府より拝領した土地が、今の上宿・谷・岩崎・新宿・田間そして豊成の二又地区です。火正神社の本殿は元禄11年(1698年)1月28日、板倉重寛公により創建されました。その後奉納された「大みこし」が、享保18年(1733年)に初めて渡御されました。ですから火正神社の「大みこし」は、社(やしろ)が上宿に在るにもかかわらず「板倉公」の領地の田間まで渡御し、二又地区に向かって挨拶するのです。


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