ここにも当時の名残があります。

鳥居を正面から見た図です。
左右の柱には、下図の文字が刻まれています。



 まずは右側、「鶏栖」は、ケイセイと読むそうです。意味はと言うと「鳳凰」(ほうおう)のことだそうです。鳳凰とは、おみこしの屋根の上につけられるものですので、「御神体」を入れるおみこしを二社寄進されたと解釈されます。
 左側は、享保十七年当時の上宿には、領主板倉公が東金にお成りの際、必ず「お目見えの儀」の場所として利用された中田家(上宿の八鶴湖入口は中田家の玄関口)や桐材を取り扱った豪商・唐金茂右衛門、「石橋下の鶴御成り〜」と謡われた石橋家、等など名門・名家の方々が多く住んでいて結束を強めていたことが伺えます。


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