学問の家に生まれ、文章博士に
菅原氏の開祖となったのは、道真公の曽祖父にあたる古人で、これ以降、菅原家は学者の家柄として栄えるようになる。祖父の清(きよ)公(きみ)と父の是(これ)善(よし)は、文章博士(古代の大学寮で中国の史書と詩文を学ぶ紀伝道を教える教官)として朝廷に仕えていた。その是善の3男として845年((承和12)6月25日に、京都で誕生したのが道真公である。幼名を阿呼(あこ)という。
学者であった祖父や父の血を受けついだ道真公は、幼少のころからその文才を発揮し、5歳にして和歌を詠み、11歳のときには漢詩を作るほど、その才能は秀でていた。
その後、着実に学者としての道を歩み、33歳のときには祖父や父と同じ文章博士となっている。
886年(仁和2)、讃岐(さぬき)守(のかみ)に任ぜられた道真公は、国司として讃岐国(現在の香川県)に赴任するが、890年(寛平2)に帰京すると、時の宇多天皇に信任を得て、順調に中央官僚として地位を高めていく。